徳川家康が征夷大将軍になったのは1603年のこと。
江戸時代のはじまりです。
ここまではみんな知っている。
でも日付まで言える?
それは3月24日のことでした。
この日付、1603年3月24日というのは、イギリスのエリザベス1世が亡くなった日と同じなんです。
彼女の時代はイギリスではチューダーとよばれる王朝。
独身を通したエリザベス1世には直系の跡継ぎがいないので、いとこの子供が王家を継ぐことになりました。
チューダー王朝は彼女で最後、次はスチュワート王朝です。
スチュワート朝がチューダーほど人気がないのは個性的な君主に欠けるからかも。
そう思う人もいるかもしれません。
お妃さまを6人ももって、うちふたりを処刑したヘンリー8世や、カソリック信仰のためにプロテスタント信者を次々と火あぶりにしたメアリ1世、海賊たちを手下にしてスペインの無敵艦隊を破ったエリザベス1世など、有名な君主といえばチューダー時代です。
でもスチュワート時代に身勝手で猟奇的な君主がいなかったわけではありません。
スチュワート朝の初代王はジェームス1世という人で、スコットランドのジェームズ6世と同人物。
彼は魔法を信じていた人で、イギリス王になる以前に「悪魔学」という本まで出版しています。
魔女は悪魔信仰だと考えて、魔女裁判にもかかわりがあります。
彼の妃はデンマークのアン王女、彼女がお嫁入りの際、彼はデンマークまでお迎えに行くのですが、嵐で散々な目に遭います。
それは自分に反対する勢力が魔女を雇って起こした嵐だと考えた彼は魔女裁判で何十人もの女性を逮捕したりしたことで知られます。
エディンバラの東海岸にノースべリックという小さな町があります。
海辺の鄙びた寒村に見えるかもしれませんが、以前はセントアンドリュース大聖堂に行く巡礼の旅人たちが船出する場所として賑わっていました。
その海沿いの教会が魔女の集会所だというのです。
魔女裁判にかかった人たちは約70人(一説によれば200人とも)
そのほとんどが当時の魔女裁判にはつきものだった拷問を受けています。
拷問を受けて「魔女だ」と自白すれば火あぶり、頑なに否定すれば拷問死が待っていました。
魔女とみなされたほとんどの人たちはひとり暮らしで生活に困って薬草を売ったりおまじないをしたりする社会の弱者だったと言われています。
ジェームス1世がイングランド王に即位した後はイングランドでも魔女狩りが盛んになっていく時代を迎えました。
ただし、スコットランドとは違って、イングランドでは魔女の処刑は絞首刑という違いがあります。
ジェームス1世の時代、有名な戯曲家シェークスピアはマクベスやテンペストといった魔女ものを書いているのは偶然ではないと思います。
次回の更新は3月30日です!
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